歴史

この城を建立させたビクトリア・フリードリッヒ皇后はプロシア王でドイツ皇帝であったフリードリッヒ三世の后であり、ドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の母でありました。

 

彼女は1840年11月21日ロンドンのバッキンガム宮殿にて、ビクトリア女王とコンソート公の間の長女、ビクトリア(母と同名)として誕生しました。

 

幼い頃より、王女であり王室の第一子として、また行く末は男系世継ぎが生まれなかった場合の王位継承者として育てられました。

 

華やかな子供時代を経て、彼女は1858年プロイセンの王位継承者の妻としてベルリンに嫁ぎ、それは輝かしい将来が約束された婚姻でした。

 

ビクトリアを送り出した英国王室も、幼い頃より彼女が備えていた女王としての品格と才能が発揮され、そして栄華がその後もずっと彼女のものであり続けることを信じていました。

 

 

しかしながら期待は裏切られました。

 

義理の父である当時のウィルヘルム一世は91歳まで生きた長命で、皇太子夫妻はその遅過ぎる王位継承の時をずっと待ち続ける辛い運命を背負っていたのです。

 

また年老いた父の皇帝は、皇太子夫妻とは相反する政治的思想を持ち、独裁的な議会体制を築いていました。皇帝に対する忠誠は示しながらも、王位を待ち続けた30年の間、皇太子夫妻はずっと、ドイツ帝国を皇帝のしいた危険な政治体制や反動分子からいかに国政を守り治めることができるかを密かに策画する日々を送らなければなりませんでした。

 

1888年3月、ついに先王崩御を迎えたとき、皇太子はすでに癌に侵されており、その在位はわずか99日で急逝してしまいます。30年もの間待ち続けた権力と栄光はあっけなく過ぎ去り、彼女はまだ50歳にもならないうちに全ての希望を失ってしまいます。

 

母のビクトリア女王宛に彼女がしたためた書簡には"夫とともに私の存在もなくなりました。”と綴れています。

 

 

この城のデザインから装飾まですべて皇后の希望通りに作られ、それはベルリンの政治・社交界からの別離を意図したものでした。そしてまた、亡き夫フリードリッヒ皇帝への記念碑であり、彼と二人で思い描いた理想の世界の実現でもありました。

 

ビクトリア皇后はフリードリッヒスホフと呼ばれたこの城の完成後、ここに7年居住しました。彼女のその後の人生が孤独で不幸であったかといえば、決してそうではありませんでした。彼女はこの地でそれまで失われていたものを取り戻し、安らかな慰めを見出していました。

 

城の外部は、子供のころを思い出す英国スタイルの庭園や懐かしい風景を再現し、建物もチューダー朝を色濃く反映した建築様式が施されています。

 

城の内部は素晴らしい図書館に納まった愛蔵書、自身で収集したお気に入りの美術品などで満たされています。特に図書館のコレクションには、ドイツに関する学習の程が伺われる膨大な書物に混じって、英国のクラシックな書物、政治から経済、哲学にいたる幅広い分野の英書が収めれています。巻の蔵書コレクションとは違い、それらの書物は見せるためではなく、まさに読まれるために存在していた事が理解できます。

 

 

1901年8月5日、長く辛い闘病生活の後、皇后は城で子供たちに看取られながら永眠し、遺体は夫の眠るポツダムの墓地に埋葬されています。